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古本のともしび洞-店主の独白

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2006年 06月 19日

引っ越しました。

 いつも弊ブログにお越し頂いている皆様、毎度お世話になり、有り難うございます。初めていらして下さった方、拙いブログにようこそお出で下さいました。
 「古本のともしび洞-店主の独白」は、下記の URL に引っ越しを致しました。リンクして頂いている皆様、お気に入りに登録して頂いている方々には大変お手数をお掛けすることになり申し訳ありませんが、設定の変更をして頂けましたら幸いです。今後とも、よろしくお願い申し上げます。


 「古本のともしび洞-店主の独白」 新アドレス
  http://blog.tomoshi-bi.com

# by tomoshi-bi | 2006-06-19 23:35
2006年 06月 16日

祭りのあと

 大阪で、久しぶりの飲み会。心根のやさしい人たちと、美味しい料理と、少々のお酒で、至福の一時を過ごす。
 帰りの阪神電車の中。扉の脇に立って窓の外を眺める。流れゆく夜景。暗がりの中、あちこちの窓から光が漏れている。一つ一つの窓の中に、それぞれの人生。
 移ろい行く人生が映画のようなものだとしたら、記憶はスチル写真だ。切り取られた空間と時間が、脳裏に焼き付く。私の中にも幾枚かのスチル写真がある。
 今、目の前の光景を見ながら、「あぁ、俺はこの光景をずっと記憶しているだろうな。スチル写真のように・・・」と思うことがある。それどころか、時には、「俺が死ぬときには、きっとこの光景を思い出すだろうな」と思うことさえある。特に感動するほどの美しい光景でも、衝撃的な事件に纏わる光景でもないのに。
 電車の窓の外を過ぎ行く家々の明かり。黒く沈んだアスファルトの道路。高速道路をオレンジ色に照らすナトリウム灯。きっとそんなものを思い出しながら、私はこの世を去って行く。きっと・・・。

# by tomoshi-bi | 2006-06-16 23:52
2006年 06月 14日

屁理屈

 駅で電車を待っていると、「宝塚からお越しの〇〇様、いらっしゃいましたら改札口までお越し下さい」とのアナウンスがあった。駅に限らず、いろいろな施設でこの手の呼び出しがあると、決まって「いらっしゃいましたらどこそこまでお越し下さい」と言う。
 以前から気になっていたのだが、この「いらっしゃいましたら」は無意味だろうと思う。先の例で言うと、〇〇様が駅に「いらっしゃらなかった」としたら、アナウンスを聞くことは出来ず、当然、改札口まで来る筈がない。「いらっしゃらない」人間に対して「どうこうして下さい」と呼び掛けるのは全く無意味である。逆に言えば、〇〇様が改札口まで来たとしたら、それは〇〇様が「いらっしゃった」ことになる。つまり、「いらっしゃいましたら」をつけようがつけまいが、結果は同じになるのだ。
 「~たら」とか「~なら」というのは、仮定を表す。考えられる事態を想定して場合分けをするのである。「もし〇〇だったら、〇〇して下さい」、「もし(〇〇ではなく)××だったら、××して下さい」というのが論理の筈である。
 「五番街のマリーへ」という歌があるが、その歌詞の中に「もしも嫁に行って今がとても幸せなら 寄らずにほしい」というフレーズがある。これは、「もし今がとても幸せであった場合には寄らないで下さい」と言いつつ、言外に「もし幸せでなかった場合には寄って下さい」という意味を含んでいる。最初の駅のアナウンスでは、「もしいらっしゃった場合には改札口まで来て下さい」までは良いが、では「もしいらっしゃらなかった場合」には、一体どうしろと言うのであろうか。

# by tomoshi-bi | 2006-06-14 23:58
2006年 06月 13日

Can you understand Japanese?

 「とりあえず謝罪」に関してもう少し書くつもりだったのだが、急遽予定を変更して、またまた日本語の問題について書きたい。
 最近、街に出ると、「日本語が通じな~い!」と思うことがよくあり、このブログでもこれまでにその話題で何回か記事を書いた。今日もまたそんな話である。
 野暮用があり某所に出掛けた。用務先は JR の某駅から南へ5~6分歩いたところにある。駅から用務先に行く途中に最近〇ックオフが出来たと聞いていたので、帰りに寄るつもりでいた。
 行き掛けには、〇ックオフの横の道を北側から南側に向けて通り過ぎ、用務先まで行くことになる。〇ックオフの北側はコンクリートの塀が続いていた。敷地の南側は広い国道に面しているので南側に出入り口があるのは間違いないが、北側に通用口のようなものがあるのかどうかが気になった。もし北側のコンクリート塀に一部切れ目があり、そこを人が通れるのであれば、帰りにはそこから駅に向かう方が、南側の国道の方の出入り口に出て迂回するより距離的に近いとの思惑である。通りがかりに見ただけでは、北側のコンクリート塀に通用口があるのかどうかは判然としなかった。
 用務先での用事を済ませ駅の方に向かった。今度は行きとは反対に南側から〇ックオフに近づいて行くことになる。南側の国道の方の出入り口から敷地内に入り、駐車場を横切って店に入った。2~3冊本を買って、店を出る間際に、近くに居た若い女性店員に聞いてみた。

「駅の方に行くのに、こちらの方に出られますか?」

 もちろん、「こちらの方」と言いながら、手では駅の方角を指している。

「駅は、こちらの方です」

と、彼女は、私が指している方向と同じ方を指した。

 全く会話になっていない。私は、「駅はどっちですか」とか「駅に行くにはどう行けばいいですか」などとは聞いていない。私の日本語の感覚では、手で駅の方を指しながら「駅の方に行くのに、こちらの方に出られますか?」と言った場合、その文章は「発話している人間は駅への道は(少なくとも方角は)分かっている」ということを前提にしている筈だと思うのだが、如何であろうか。
 「北側に出られますか?」と尋ねる人間は、北側に出たいと思っているのである。「北側に出るつもりがない」、或いは「北側には出たくない」と思っている人間は、最初からそんなことは聞かない。答えがイエスであれ、ノーであれ、北側には出ないからである。私が手で北側(駅の方角)を示しながら「こちらの方に出られますか?」と聞くからには、その文章だけで十分に「私は北側(駅の方角)に行きたがっている」ということが伝わる筈である。更に、「こちらの方に出られますか?」の前に、「駅の方に行くのに」が付いていれば、「この人は、駅の方に行くのに北側に出たがっている。現実に駅は北側にあるし、駅に行きたいと思っているこの人が北側に出たがっているということは、この人は駅が北側にあるということが分かっている筈だ」というのが論理的帰結であろう。

「だからぁ、駅に行くのに、こっち側から行けますか? それとも、国道の方の出入り口から出てグルっと回っい行かないとダメ?」
「はぁ、それならこっち(北側)から行けると思いますけど・・・」

 私は、「『思いますけど』なんていう頼りないことじゃなくて、行けるの? 行けないの? どっち?」と聞きかけて止めた。そんな遣り取りをしているくらいなら、国道側から回って駅まで行ってしまう方が早いと思ったからである。で、実際に、私はそうした。
 「思う」というのは、その人間がそのように考えているというだけであって、現実と一致しているとは限らない。私は、「北側から行ける、即ち、北側は人間が通れるようになっている」か、或いは「通れない」かという客観的事実を知りたいのである。現実に通れるかどうかを尋ねている人間に対して、自分がどう思うかを答えたのでは、会話は擦れ違っていると言わざるを得ない。単に「思う」だけなら、何も店員に聞いたりしなくても私にだって出来るのだ。

 日曜日のテレビ番組で、東京都内の大学生の6割は「憂える」という言葉の意味を「うれしがる」ことだと思っているという調査結果があると言っていた。その調査結果の真偽のほどは分からないが、もし本当だったとしたら、この国は、間違いなくもうすぐ滅びる。

# by tomoshi-bi | 2006-06-13 19:03
2006年 06月 11日

何を謝るのか?

 例のシンドラー社のエレベーターの事件について、テレビ番組で、「まず謝罪すべきか、原因究明が先か」というアンケートの結果を報じていた。85対15で、「まず謝罪」が圧倒的多数であった。
 個人的には、この結果が信じられない。原因が分からない段階で、何をどう謝れと言うのだろう? その時点で謝罪するとすれば、それは、単に口先だけで詫びる以外のなにものでもない筈である。自分の会社が悪いのか悪くないのか、仮に悪かったとして、どこがどう悪かったかのかが分からなければ、謝りようがないではないか。
 「まず謝罪」という考え方の人達は、何でもいいから口先だけででも謝って貰えば、それで気が済むのだろうか。私なら、そんな謝り方をされれば、逆に腹が立つだけである。

# by tomoshi-bi | 2006-06-11 22:56